|
5代目金原亭馬生(きんげんてい ばしょう、元治元年(1864年)(逆算) - 昭和21年(1946年)4月15日)は落語家。本名:宮島 市太郎。 東京麻布生まれ、父は浅草亭馬道、1878年に4代目金原亭馬生に入門し、小馬三郎を名乗里11月に麹町万よし亭が初舞台であったという。1889年頃に3代目春風亭柳枝門下で枝三郎に改名し、更に5代目林家正蔵門下に移って正朝に改名して旅回りをしたのち、3代目柳亭燕路門下で柳亭小燕路に改名した。1899年8月、5代目金原亭馬生を襲名し真打昇進。この頃から素噺、講釈のネタなどのじっくりなネタをやっていた。一時桂文楽の襲名ももくろんだが実現しなかった。 1904年から上方の三友派に活動拠点を移し素噺で売る、大正中期には帰京するが東京にも馬生(後の4代目古今亭志ん生)がいたのでこの馬生は寄席でのメクリの色を赤字に変えて峻別したため「赤馬生」と言われた。 晩年はセミリタイヤ状態で父の名の浅草亭馬道と改名している(ただし馬生の名でラジオに出たこともある)。 上方にいたときはおもちゃ屋を営んでいた事から「おもちゃ屋の馬生」とも言われた。 得意ネタは『義士伝』『阿武松』『雁風呂』。 弟子には9代目金原亭馬生(小林桂吾)などがいる。 == 出典 == *諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金原亭馬生 (5代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|